コンプレックスと標語

というわけでアメリカに来ている。前回は2weeks来ていて、もうずっとはよ帰りたい気持ちでいっぱいだったのだけど、今回は、2monthで、諦めが付いて逆に帰りたいという気持ちはあんまり無くて大分楽だ。


こっちに来て、広告とか見ていて思うのだけど、集団社会で掲げる標語は、コンプレックスの裏返しだよな、と思う。

アメリカでは、やたらと、「SAVE GREEN」とか「SAVE ENERGY」とか「HEALTHY」とかいう文字列を見かけるし、CM も、エクササイズ系のCMをやたらと見かける。

けど、日本人から見たら、彼らの環境保護とか、健康志向って遊びでやってるようにしか見えないんだよな。健康指向の広告があれだけあるのに、実際食べてるのはファーストフードばっかで、見るからにヤバい肥満人間がかなりいるし、自然環境保護と言いつつ、ゴミ分別しない、車乗りすぎ、みたいなのがかなり見られる。


だから、アメリカ人がアレだなーというわけでもなくて、日本だと、やたらと、「みんなで協調」とか、「和の精神」みたいなのを主張するけど、日本人は確実にその点ではクソで、明かにこっちの人のほうが、フレンドリーだし、協力しようという姿勢を見せてくれるのだよな。


全然知らない人が挨拶してくるのとか日常茶飯事だし、俺のように英語全くできない人間にも、親切になんとか情報を伝えようと努力してくれるし。

日本で、知らない外人に挨拶するとか考えられないし、日本語通じない人と会話すると、日本語しかできない人間は、大体「ア…ア…」ってなってしまうよね。


つまり、社会規範上、良いとされることが完成されるには、標語なんか必要の無いレベルで皆の心に刻まれるレベルに逹する必要があって、「自分達は〜を頑張っています」というアピールは、「本来やらないといけないけど、あんまりできてないけど、なんとかがんばってできる範囲でやっています」というアピールであって、実際にはまだまだ完成されたレベルには逹っしていないというアピールなのだった。


と、思ったけど「地球環境を云々」は同じくらい日本でもよく見る気がしたのであんまり違うかもしれない。