wwwによって革命は起こるのか

リハビリ気味にどうでもいい話でも書こう


最近の流れとして、なんか、「webやらインターネットの無限の可能性を信じずにはいられないね!」的な話をみかけることが多くなったように思う。インターネットによって、なんか色々なコストが下がって、今までは雑魚キャラだった一般人が云々とかいう話、らしい。
しかし、そういったアレは本当なのだろうか。(最近ちょっと「アレ」って使いすぎじゃないのか?)


問題は、「webの無限の可能性はスゴイネ」的なまるでひとごとみたいな書きかたが大半である、ということだ。もし、ほんとに「雑魚キャラでも世界を変えられる」っていう話なんだったら、webによる革命の可能性を感じたその瞬間にその人は舞台上にいないといけないはずで、「俺がこのインターネットを使って世界を変えてやるZE!」的な流れにならないといけないはずだ。しかし、それは実際には起こっていない。大抵の人にとって、「インターネットの可能性」は他人事でしかない。

ていうか、実際のところ、みんな「革命を起こすのはぐぐるさんだ」と、うすうす思ってるでしょ!だが、しかし、そんなのは革命ではないのだ。優れた技術を持った企業が新しい方向を示すなんていうのは、これまでもよくあった話だ。ぐぐるさんが起こすチープ革命チープ革命なんかじゃない。


なんか話がわからなくなってきたよ。思い付いた単語を順番に書いてるだけなので気にしないで。


なぜ、いまのところ革命は起こっていないのか?ありとあらゆるコストが下がって、雑魚キャラが世界に参戦するのは簡単になったのではないのか?


僕は、ここで、人間のほうがボトルネックになっているのではないか?と考える。


何かを実現するのに必要な色々が、「人間の能力80%、調査や実現に必要なコスト20%」であるとしたら、ここで、調査や実現に必要なコストがいくら下がったところで、所詮総合的に必要なコストは最大でも4/5にしかならない。多少は有利になる場面があるだろうけど、その程度では、「革命」とは呼べないんじゃないか、と、そう思うのである。


例えば、何か資料を探す場合を考える。
これまでの世界では、何か疑問が起こった際には、本で調べる必要があった。簡単な疑問なら、近くの本屋に行けばいいだろうが、マニアックな疑問なら、でっかい本屋か図書館にまで出かける必要があった。夜中にネタを思い付いても、それの答えを出すには一晩待たないといけない。本屋が休みなら、次の日まで待たないといけない。マニアックな本なら、一万円くらいの値段がするかもしれない。
だが、しかし、インターネットがあれば、疑問が浮かんだその瞬間に答えはどこにいても無料に近い値段で得ることができるようになる。


ここで、一見すると、インターネットで資料調べをした場合、時間的金銭的コストともに限りなく0に近く、非常に有利なように見える。
しかし、それは、あくまで「疑問が浮かんだ」後の話だ。


有用な知識を得るためには、まず、「これは何故こうなっているのか」と、自分で疑問を持つ必要がある。なんの疑問も興味もなく、「あとで役立ちそうだから」的な理由だけで得た知識なんてのは知識とは呼べない。疑問やら必要やらがあってこそ情報は知識として生きてくるわけで、そうでないなら、情報はただのビット列以上のものではない。


そして、ここで、「疑問なんてそんなにしょっちゅう出てくるようなもんなのか?」と、いう話である。アイデアに結び付くような疑問はどのぐらいのペースで湧いてくるもんなのだろうか。これは、人にもよるだろうけど、それなりに有用な知識をもたらしてくれるような疑問になると、短く考えても、何ヶ月とかのペースになるんではないかと思う。そういったペースを考えると、本屋に行くまでのコストなんていうのは誤差レベルになってしまう。
「疑問→情報収集→アイデア」という流れを考えると、ボトルネックは明らかに最初の部分であり、情報収集がいくら最適化されようと、全体としては大差無くなってしまうのである。


だから、まあ、なんだ。雑魚キャラである僕にはインターネットの可能性をフロンティアなアレするのは無理な話というか、そもそも僕それ以前にwebの技術は全然興味ないし、Ajaxとかどうでもいいぐらいに思ってるし、Ajaxといえば、最近「JavaScriptの素晴らしさ=Ajax」的な流れっぽくて、おいおい、それじゃあ、なんか「JavaScriptの素晴らしさ=ホームページの飾り」ぐらいだった昔を見てるようで、「そうじゃなくてJavaScriptの素晴らしさはオブジェクト指向と関数言語の織りなすなんか色々に決まってるだろ?」などと思ったりしてるのでした。