アイデア勝負

イデアとかになると、僕の場合はプレッシャーを感じるっていう話と、それでもそういうプレッシャーは乗り越えないといけない。っていう話。


(これから書く話は僕はあんまりゲームって書かないから僕がゲームを作るにあたって思ってることではなくて、前に描いてた四コマの経験をもとに思ってることなんだけど、「おもしろくするために明確なルールは存在しない、曖昧なルールでさえも殆ど存在していない」っていう状況を考えたら、それなりにごっちゃにして書いても問題無いと思う。)


僕の場合、アイデアで勝負するっていうのは、それは、恐怖にも似たプレッシャーと勝負するっていうこととほとんど同じなのである。
面白い四コマを描き上げたときに感じるものは何か。
偶然にも去年の今頃ちょろっと書いてたりするんだけど、それは単純な喜びではないわけだ。
なんていうか、「自分が描ける面白いものはこれが最後かもしれない…」そういう感じ。自分はどうやって面白いものを作ったかなんて、自分もわからない。だから、なんとなく、「今出来たのは実力でもなんでもなくて、ただの偶然なんじゃないかなぁ…」と、そういう考えになるのである。
で、モヤモヤとした思いっていうのは、次にネタを思い付いたときに「前のほうが面白かった…」っていうふうに実際にのしかかってくるし、しかも、それは時間が経てば経つほど自分の才能の無さっていうのをまざまざと見せつけられる感じになってきて、どんどん重くなってくるわけだ。
面白いものを作れば「それを乗り越えないといけない、少なくともそれ相当のものは作らないといけない」っていうプレッシャーになるし、かといって、面白くないものを作るのも「やっぱり、自分はこの程度なんじゃないか。駄目なんじゃないか…」っていうプレッシャーになる。そうやって、そのプレッシャーは軽くなることなんてないのである。
まあ、人間無限に重いものに耐えられるようにできてるわけでもなく、「やっぱ、自分はこの程度なんだなぁー仕方無いなぁー」って感じで諦めたりする。っていうこともあるんだけど、大抵の場合はもっと手軽になんとかする方法、すなわち、「そもそも考えることを止める」っていうほうに流れるわけである。
考えることを止めるっていうのは素敵な方法だ。その場ですぐ実行できるし、「考えてないから思い付かないんだ!」って感じで言い訳ができて自分の才能の無さを実感することも無いし。僕がプログラミングを始めた動機のひとつにゲーム作りたいからっていうのがあったにもかかわらず、気が付いたらゲームなんか全然作ってなかったっていうのもそういうのがあるんじゃないか。と、思う。

でも、やっぱりそういう逃げはできるならば避けたほうがいいんじゃないかなぁ…っていう超適当なことを思うわけだ。
昨日も書いたとおり、面白いものっていうのは確率みたいなもんで、20種類のものの中に含まれる面白いものの数っていうのは10種類のものの中に含まれる数の2倍くらいになるものなんじゃないかと思う。つまり、面白いものを作るには、なんでもいいから、とにかく考え続けて、量を生み出すようにしないといけない。
面白いアイデアを普通の人の2倍出せる人っていうのはボツになるアイデアの数も普通の人の2倍3倍いくんじゃないだろうか、普通の人の2倍3倍プレッシャーを感じてる人なんじゃないだろうか。とか、そういうことを思うわけである。

以上。