Joel on Softwareを若干読んだ

(読んだを変換すると「ヨンだ」が一番に出てきたうちのIMEをなんとかするべき)
と、いう家族にしか分からないネタは、どうでもいいんだけど、これを読んで思うのは、「コードとマネジメントとビジネスがわかる人間が近くにいたらいいだろうな」と、いう、そういう、他力本願な願望ばかりなのだった。
ああいう話が必要なのだというのはなんとなくわかるのだけど、実際にああいった思考を行うには、

  1. 自分がそれをやる
  2. 誰かがやってくれる

のどちらかが現実のものとならないといけないわけだ。
そんなことが実際に可能なのか?まず、1.自分がそれをやる→どう考えても無理。2.だれかがやってくれる→やってくれるといいのにね。

なぜ実践できないの?

Joel on Softwareに書いてあることは、確かに素晴らしい。ああいう点を考慮できるようになれば、確かに良い。けど、何故、それは実際には行われないのだろうか。そう、それは簡単な話、現実には、わざわざ本に書くまでも無いようなくだらない問題がやたらとあるからだ。それは、ほんとに「休憩しようと思って開いたwebページが面白くて半日仕事しなかった」とか、「たまたま相手の機嫌が悪かった」とか、まあ、そういうくだらない話だ。


さて、話を無理やり曲げていくが、では、なぜ、Joelさんは実際に成果を残すことができるのだろうか?
くだらない問題に出会わないで済んでいるから?
そんなわけは無いだろう。誰でも、くだらない問題には遭遇してるはずだ。ならば、くだらない問題、という点について、成功する人と成功しない人の差はひとつしかない。「くだらない問題を処理できるか?できないか?」だ。
僕は、成功者の言葉をいくら実践しても、成功者にはなれない理由は、ここにあるのだと信じている。くだらない問題に対応する方法は殆ど言葉には残らない。Joel on Softwareには確かにそういう話も結構書いてあるが、それでも全然足りない。
くだらない問題はくだらないにも関わらず、解決が難しい理由は、それが多すぎて、かつ、解答を再利用できない点にある。いくら本を読んだところで、それは次の問題にはなんの役にも立たない可能性が非常に高い。経験を積んでも、次の瞬間には、全然経験とは関係ない問題が降りかかってくる。


偉人や成功者が名言を残した場合、それは疑ってかかるべきだ。名言にはとても重要なことがひとつだけ表現されている、が、しかし、それを実践するには300個ほどのくだらない問題を乗り越えないといけないのだ。多分。

名言の見分け方

で、ここで、心に残しとく名言とハードディスクに残しておく名言の見分け方を紹介しておく。
それは、その名言を正体が知れている身近な人に言わせてみる、というものだ。


ここにちょっと有名なジョブズのスピーチがある(ここで日本語訳しか読めないヘタレだとかは言わないで)
http://pla-net.org/blog/archives/2005/07/post_87.html

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

これはまったく素晴らしい文だ。いつだって、その日は大事な一日だと心にきざんで生きていけばよいのだ。


ならば、今日からはこれを実践すれば良い?そうすれば、僕は成功者になれるの?
で、そういう状況になったときは、弟なり、隣に座ってる人なり、身近なひとが、同じ文を言った状況を考えるのだ。

弟が同じように「俺は今日が人生最後だと思って生きてるよ」って言ったらどう感じる?僕なら、一言、(弟いないけど)

「キモッ」

で済ますだろう。


これは非常に重要なことだ。文に意味があるのではなく、「ジョブズさんが言ったから」意味があるのだ。
こんな文章は、HDDに入れて、いつでも読めるようにしておけば十分だろう。(それをいつ読み直すのかは知らないが)


で、次に、普通のやつらの上を行け、より、

プログラミング言語は、その力において差がある。

という文について考える。
これはハードディスクに入れておくべき言葉か?


もし、これを昨日まで「Javaさえあれば十分だ」と言ってた糞プログラマ(幸いにして僕は実際に会ったことはないが)が言ったとしたら、どうだろうか。僕なら、

「おお!ついに理解してくれましたか!素晴らしい!」

と、言うだろう。ここで、僕は驚いているという点に注目だ。驚くということは情報量があるということだ。すなわち、「プログラミング言語は、その力において差がある」という文は、「ポール・グラハムが言った」という部分ではなく、「その言葉自身」に情報がある、と、いうことだ。


こういう言葉は自分の心の名言集に刻んでおいて、いつでも引き出せるようにしとくべきだろう。


「発言者」に意味があるのか、「文」に意味があるのかを考えるのは、重要なのではないのかと思う。ここらへんを区別しておかないと、多分アレ。


「あー、今日は人生最後の日だって考えるの忘れてたな…まあいいか。明日からにしよう」