名言の見分け方

で、ここで、心に残しとく名言とハードディスクに残しておく名言の見分け方を紹介しておく。
それは、その名言を正体が知れている身近な人に言わせてみる、というものだ。


ここにちょっと有名なジョブズのスピーチがある(ここで日本語訳しか読めないヘタレだとかは言わないで)
http://pla-net.org/blog/archives/2005/07/post_87.html

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

これはまったく素晴らしい文だ。いつだって、その日は大事な一日だと心にきざんで生きていけばよいのだ。


ならば、今日からはこれを実践すれば良い?そうすれば、僕は成功者になれるの?
で、そういう状況になったときは、弟なり、隣に座ってる人なり、身近なひとが、同じ文を言った状況を考えるのだ。

弟が同じように「俺は今日が人生最後だと思って生きてるよ」って言ったらどう感じる?僕なら、一言、(弟いないけど)

「キモッ」

で済ますだろう。


これは非常に重要なことだ。文に意味があるのではなく、「ジョブズさんが言ったから」意味があるのだ。
こんな文章は、HDDに入れて、いつでも読めるようにしておけば十分だろう。(それをいつ読み直すのかは知らないが)


で、次に、普通のやつらの上を行け、より、

プログラミング言語は、その力において差がある。

という文について考える。
これはハードディスクに入れておくべき言葉か?


もし、これを昨日まで「Javaさえあれば十分だ」と言ってた糞プログラマ(幸いにして僕は実際に会ったことはないが)が言ったとしたら、どうだろうか。僕なら、

「おお!ついに理解してくれましたか!素晴らしい!」

と、言うだろう。ここで、僕は驚いているという点に注目だ。驚くということは情報量があるということだ。すなわち、「プログラミング言語は、その力において差がある」という文は、「ポール・グラハムが言った」という部分ではなく、「その言葉自身」に情報がある、と、いうことだ。


こういう言葉は自分の心の名言集に刻んでおいて、いつでも引き出せるようにしとくべきだろう。


「発言者」に意味があるのか、「文」に意味があるのかを考えるのは、重要なのではないのかと思う。ここらへんを区別しておかないと、多分アレ。


「あー、今日は人生最後の日だって考えるの忘れてたな…まあいいか。明日からにしよう」