司馬遼太郎記念館

父親がどっか連れてったるとか言うので、この年(28)になって、父親にどっか連れてってもらうというのも面白いな、と思ったので、司馬遼太郎記念館へ行った。
まあ、僕は「竜馬がゆく」すら読んだことないニワカ未満なのだが…細かいことは気にしないで行った。

まあ、面白かった。

記念館といっても、記念品とかが置いてるわけでもなく、大量の司馬遼太郎の蔵書が、安藤忠雄という有名(僕は知らんかったが)な建築家が作った本棚に入れてあるのを見るだけという感じだった。
それだけだったのだが、よくわからんものがごちゃごちゃ置いてあるよりは、方向性がわかりやすくて、「あの人はいっぱい本読んでたんだなー」という印象操作を受けるには、非常によくできてると思った。むしろ、「これ安藤忠雄必要だったか?」という感じだった。

なんか他に趣味もなかったのでひたすら本を読んでたらしい。上の「感性を育てなさい」と考えたのとは矛盾する感じである。


あとなんか違和感みたいなのがあった。

思想や、やってることはかなりストイックなのに、その結果出てきたものが、あの事実と推測と創作が入り交じったチャラい文章なのか、と、思うと、その思考の経路みたいなのが、ちょっと理解できない気がした。
まあ、推測と思想を完全排除した歴史の教科書がほぼ無益であることを考えると、文章がチャラいのは一向に構わないというか、この人の文章面白いので、大変良いと思うのだが、しかし、それと、違和感とはまた別の問題で、ストイックな思想から、チャラい文章が生まれるのは謎い感じである。

世間に受け入れられるために、あえてそう書いていたのかもしれないが、しかし、そういう受け身の姿勢で、あれほどの量の文章を書けるものだろうか?本人、ああいうのが楽しくてやっていたとしか思えないが。

と、いうことを考えると、「今の日本人に昔の日本人について知ってもらいたかった」とか、の、単純な思想以上に、もっと複雑な思想があったのだろうなーとか、思った。