あー、2年前に考えた「D言語で十分なんじゃないか?」という考えは未だに変わらないままだな…
D言語のつまらなさは、それが「正しい答えすぎる」と、いうのがあるよな…。


僕は、結構「不便であること」を楽しんでたりするんじゃないだろうか。Amazonさんに頼らないで、本屋まで行ったり、grepしか使わなかったり、i-modeは最後の手段だったり、GC使わなかったり。RSSリーダ使わなかったり……
面倒くさがりであることは間違いないんだけど。楽しめる不便さと楽しめない不便さの境界はどこらへんなんだろうか。