0.4

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昨日の浮動小数点比較とか。他色々。
それなりに動かしてみたので、大分マシになってるかと。というか、前のバージョンは使いものにならないので。


あと、あれ。やっぱり、僕はPythonみたいな文法が好きなんだと思う。別にPythonは好きではないが。
色々書いてて、書きやすい && 読みやすい。
こう、ね、余計なものなんか無いって感じが。


余計なものなんか無いっていうのは重要なんですよ!!言語を考えたことがある人ならわかるかもしれんのですが、ASCIIっつーのは、記号が少なすぎるんです。特に、括弧。ブロックなんかに括弧を使っちゃうなんてのはいかんのでありますよ。あんま上の話と関係無いけど。


で、a24zとは関係無いんだけど、言語と記号の話。


記号とゆーのは、見た目に直接訴えてくるものがあるので、うまく使えば、言語の見た目の良さを強化することができる。しかし、悲しいことに、ほとんどの記号は演算子の類いで使われてしまっているのである。よって、記号というのは思いつくままに使うわけにもいかず、言語設計時は貴重な存在として扱っていかないといけないのである。
もし、無駄づかいしてしまうと、記号が足りなくなって、重要な場所でも、キーワードを追加してお茶を濁すはめになってしまう。キーワードっていうのはコードに埋もれがちで、視覚に訴える力が弱い、というのはなんとなくわかるかと思う。(それが良いこともあるだろうけど)


で、ここで、ブロックっつーのは、視覚に訴えてもいいくらい重要な部分なのでは?と、思ったりするが、そうではない、ブロックというのは最も貴重な、「インデント」というのを既に使用してしまっているのである。「インデント」!!こいつは世界に一個しか存在しない超レア記号なのだ!!
もし、ブロックに括弧を使ってしまえば、世界で一個しかない貴重なインデントと、世界にみっつしか存在しない括弧のうちのひとつをブロックだけで使ってしまうわけである。それはまさに無駄づかい!!もっと他のやつらにも使わせてやれよ!!そんなことするから、C++のテンプレートの括弧は右シフトとごっちゃになっちゃうとか、そういうしわよせがいっちゃうんだ!!


もう何の話かわからんけど、とにかく、言語を作るときに、記号をどう使うかっていうのを考えるのは、ちょっと(…ほんとうにほんのちょっとだけど)楽しかったりする、とか、そういう話。全然そんな話になってないけど。


個人的には、記号、特に括弧の使い方は、OCamlが一番上手いと思う。こうね、見せたい場所で見せる。そしていらない場所では使わないって感じが。配列アクセスの.[]はちょっと微妙だが。
Haskellは記号使い過ぎ。あれはわからん人から見たらPerlスクリプトのアレのナニと似たような印象を与えると思うのですよ。