マゾインターフェースは面白さに貢献してるのか
で、そのカルネーハートのプログラミングのインターフェースの話
わからん人に簡単に説明しておくと、カルネージハートっていうのは、ロボット用にプログラムを書いて、そのロボット同士で対戦するっていうゲーム。
んで、その、カルネージハートのプログラミングのインターフェースは、ブロックのようなものを繋ぎ合わせていって、フローを作るようになっている。レゴのマインドストームがわかる人は、あのインターフェースをプレステのコントローラ対応にした感じを想像していただければよいかと思う。
なんだけど、まあ、その大体予想していただければわかるとおり、そのブロックを十字キーで組み合わせていくっていうインターフェースは、普通にコード書くのと比べると、非常に辛い。いや、プレステのコントローラという事情を考えると他にどうしようもないのだけど。
しかし、だ。そのインターフェースでプログラムを組むのは、辛くはあるのだけど、辛いばかりでなくて、こう、なんかがあるのだ。その「なんか」は、なんなのだろうか。「使いにくいインターフェースを乗り越える感じ」からくるM的な快感なんだろうか。
とか考えたんだけど、
- あのインターフェースで実現できるぎりぎりまでシンプルにしてあって、それが「なんか」に繋がっている
- ていうか、弾が近付いてきたらジャンプで避けるっていうだけで、あれだけ格好いい動きしてるのが「なんか」なんじゃ
とかのほうが正解っぽいような気がしてきた。操作の粒度はそれなりに大きいほうがいいのかも。
- 加速、減速は無し。歩きと静止だけ
- 緊急回避は命令一個で
- atanは無くても動かせるように(一番近い敵を自動的に狙うように)
いや、そこらへんは個人の感性によるだろうけど。