しばらくはただのコード書きとして生きていくよ。

前回までのあらすじは、「だらだらと生きていけたら十分だと思っているのだけど、会社から、マネージメントできる人がほしいとか、顧客と折衝できる人が欲しいとか言われて、実際、そういう話を聞いて、なんかうしろめたさを感じた」、という話。
だけど、結論は出た。これからもだらだらするよ。コード書くしかできない役立たずとして生きていきますよ。他のことは知らん。


そう、もう、とにかく、どうでもよくなった。会社が「マネージメントとかできる人が欲しい」と、本気で思っているのなら、会社のほうから行動を起こすべきなのだ。


最近の、なにかにつけて、「コード書きと上流工程の両方できる人が欲しいよ」とか普通に言っちゃう風潮っていうのは、どうなのだ?
これまで、企業側がなんの努力をせずとも、「個人的に勝手に楽しさを見つけて勉強して、報酬も立場も要求しないオタ技術者」、ちょい昔流行った「田中さんタイプ」の技術者を手に入れてきたから、同じような感覚で「〜っていう感じの人が欲しいよ」って言っておけば、勝手にそういう人がタケノコのように生えてくると思ってるのではないか?
そんな都合のいい話があるわけがない。オタ技術者は別に会社の為だけに勉強してるのではなく、その方面に興味があったから勉強していたにすぎない。これまでは、偶然、オタの向く方向と企業の向いている方向が同じだっただけだ。優秀な人材が欲しければ、本来ならば、企業が自ら動いて、学校とかにも働きかけたりして、自らの手で作り出すべきなのだ。


企業は、マネジメントできる人が欲しい、顧客折衝できる人、提案できる人が欲しい、と言うのならば、そういう人材が育つように努力しているのか?マネジメントは技術とはまた違った面白さがある、というのを個人個人に伝えようとしているのか?それなりにしているのかもしれないが、少なくとも、僕にはそういうのは伝わってきてはいない。


これは、別に、そうして欲しい、という希望でもなんでもない。
企業が人材が欲しいと思うのならば、企業から動くべきだ。こっちは満足しているのに、企業側に不満があるという状況なのだから、「そんなこと自分で勉強しろよ」と、言われても、「へぇー」と、しか返事しないよ。と、いう話だ。(もちろん、技術者である以上、技術に関する勉強は自分からするのは当然だと思うが。)


と、いうわけで、だらだらとただのコード書きとして生きていったとしても、うしろめたさを感じる必要なんかない、という結論に至った、という話。
今後、僕の前で、「技術者は交換可能」とか言った人は、どうでもいい人認定するよ。「"コードしか書けないプログラマは賃金の安い中国人と交換できる"、としか言えない経営者はベンチャー大学生と交換できる!!」って感じで。
こういう話になると、「そういうことしてると日本のソフトウェア産業は終わる」とか言うらしいが、そんなこと知るか。ソフトウェアと、そして、たくさんのオタ達と共に死ねるというのならば、むしろそれは望むところじゃないか。