食器達追悼式

ひっこしにあたり、この機会に荷物を減らすか、と思って、鍋食器フライパンを捨てて、二度と自炊はしないと誓うことにした。
陶器金属ごみの日の、朝出したら、夜には回収されていなくなっていた。


彼等は、僕の7.5年にわたるひとりぐらし生活を支えてくれたよき相棒達であった。彼等の業績を称え、思い出を綴っておきたいと思う。

フライパン(初代)

およそ4年ほど、コンロの火を受け止めて、肉魚野菜卵を調理する役を担っていただいた。
テフロン加工のフライパンは、水に濡れたまま放置してはいけないと知らなくて、管理が適当だったため、2年ぐらいからテフロン効果が落ち始め、あらゆるものが焦げ付くようになったので、退役となった。彼にはもうしわけないことをしてしまったな…と反省している。

フライパン(二代目)

あらゆるものが焦げ付くようになった初代にかわって、コンロの火を受け止める役を担当した二代目。
今度はちゃんと説明書を読んで使ったので、回収される前日まで、買ったときと同程度の機能を維持していたように思う。
得意料理は肉炒め。肉に火を通しただけのシンプルな料理である。

ちゃわん

ひとりぐらしを始めたころは、米を入れる器として活躍した。

途中で、「鍋で炊くなら米0.5合炊くより、1.0合炊いたほうが色々良い」という、方針の変更があったため、米を入れる役割を終え、肉じゃが入れ専用器となっていた。

どんぶり

当初は丼として活躍。1合炊くように方針転換があったので、それ以降メインの茶わんとして活躍。

お椀

ひとりぐらし開始から、自炊最後の日に至るまで、味噌汁を入れる器として僕の生活を支えてくれた。

味噌汁は、その時の気分によって、だしから作ったり、インスタントを使ったりなど色々試したが、内容に関係無く、そういった全ての味噌汁を受け入れてくれたのが彼であった。

男のひとりぐらしに欠かせないもののひとつに、あらゆる料理を乗せることが可能な皿の存在があると思うが、7.5年間にわたり、我が家でその役割を担ったのが彼であった。
謎の皿に焼きそばを乗せる瞬間こそが、男のひとり暮らしの料理の究極の姿だと考える僕にとって、彼は究極の一部として重要な存在であった。
などと、感傷にひたっていたが、なんか、捨て忘れていてまだ家の中に残っているように見える。

鍋(小)

ひとりぐらし開始から、おもに味噌汁を炊く物体として活躍。
たまに袋めんを茹でる場合、レトルトカレーをあたためる場合などに使われた。

鍋(大)

当初はカレー肉じゃがを処理するのに使っていたが、圧力鍋の登場により、メインの座を引退。
以後は、圧力鍋で作ったものを入れる役割をになっていた。(カレーを作る場合、米とカレー両方で圧力鍋を使うので、別途カレーを入れる鍋が必要なんです)
ソースうどんを茹でたのも彼である。

圧力鍋

もやしもん」で、納豆が圧力鍋で作れるとか書いてあったので実験用に買った。
実験の結論としては、「買ったほうが簡単だしうまい」ということで、それ以降納豆を作ることは無かったが、別の目的で使ってみると、圧力鍋が素晴らしいことが発覚。
以降、僕は圧力鍋の信者となり、布教活動に励むこととなる。

魚、肉じゃが、カレー、豆など、あらゆるものを煮る役として活躍した他、米を炊く役割を担い、炊飯器を退役させるなど、獅子奮迅の活躍を見せた。

その他色々

他にも、ボールや小さい皿など、あまり思い入れがないのがいくつかあるが、それでも彼らがいなければ、今の僕はなかったであろう。
金属資源として回収された彼等が、またどこかで活躍してることを祈る。