コンピュータは人を幸せにするか?

手順を残すのは、失敗の影響を抑えるためだとか、あー、まあ、そういうためのマネジメントシステムとか。ここらへんを読んだ影響を受けてるはず。


時事ネタ的に、みずほだかジェイコムだかの話があったらしい。よく知らんけど、ちょっとしたソフトウェアのミスで、数百億の損失が出てしまう時代だ。
ひょっとしたら、この事件は、単純に技術がヘボかっただけなのかもしれない。だが、しかし、こういうミスはどんなに技術が優れてても、やっぱり仕様の理解ミスやら、ちょっとうっかりしただけでも起こってしまうものだろう。結局のところ、そういう人的ミスを防ぐには、人に依存する部分を減らして、どんな気分で作業しても、正しい結果になるようなマネジメントシステムを稼動させる必要があるのかもしれない。今の、ソフトウェアが背負ってるものは、「あー…ちょっと、うっかりしてました」では、済まされないものになってしまっているのだ。どんなにつまらなくても、正しいものを作るようにすることが、必要なのだろう。


と、ここまでがどうでもいい話。さて、ここで、ひとつの疑問を感じる。「コンピュータは、楽するためにある道具なんじゃないのか?」と。ここで、起こっていることは全く逆のような気がする。「コンピュータは、面倒で、つまらないくせに、責任だけは重大な問題を僕等に提供してくれてるじゃないか。」と、そんな気が。


こういう感じの問題は、いくつか挙げることができる。WordとExcelは非常に便利なツールだ。だが、しかし、WordとExcelがあったことで幸せになれた人はいるのか?大体の人はこう答えるね。「無駄な文書やデータを作る時間が増えた」と、ね。ああ。全くもってそのとおりだ。会社へ行って、まわりの人達を見回したとき、一体どれぐらいの人が、Wordとか、Excelとかと睨めっこしてるだろうか。そして、次に、こう考える、「今までに見たWordとExcelのドキュメントの数はどのくらいか、さらに、そのうちで役立った情報はどのくらいか?」。
ああ。WordとExcelがあったおかげで幸せになれた人は世界中でどのぐらいいるんだ?逆に、WordとExcelのおかげでつまらない作業をしてる人はどのぐらいいるんだろうか。


もういっこ、セキュリティの問題だ。セキュリティ技術が高まったおかげで、幸せになれた人はどのぐらいだろうか?そんなのいるわけないんだけど。しかし、個人情報保護法が施行された今は、セキュリティ技術を知らないことは、処罰の対象なのである。技術が高まったことで、幸せになれた人はいないのに、不幸になる人は生まれるわけだ。
さらに、セキュリティの問題は、個人の問題だけではないので、そこから逃げることさえできない。貴重な時間を使って、難しい勉強とつまらない保守を続けるか、処罰の対象になるか、どちらかしかないのだ。



もちろん、コンピュータは、何かを便利にはしてくれている。現在の日本で生きていれば、おそらく、気付かないうちに、相当の恩恵を受けているはずだ。だがしかし、便利であれば、幸せである、とは限らない。反例はいくらでも挙げることができるはずだ。さらに言えば、世の中には、不便であることに面白さを覚える人だっているのだ。


コンピュータは生活を便利にしてくれるか? … YES
コンピュータは人を不幸にすることがあるか? … YES


では、以上を踏まえたうえで、次の質問の答えは何になるだろうか。
コンピュータは人を幸せにするか?


答えは、もちろん、YES。シューティングとエロゲがあるのはコンピュータのおかげですっ!!