昆虫と俺とUNIXと

んで、そういうアレさんの生命力を感じながら、昔考えた昆虫とUNIXの話を思い出した。


昆虫というのはあれだけ、シンプルな構造でありながら、最低限生き残るための機能を備えている。たとえば、ハエなんか、普通の人間には、一撃で仕留めることが難しいとか、そういう話だ。
別に高度な知能を持っているわけではない。「なんかあったらとりあえず動く」ぐらいの知能しか無いと思う。


だがしかし、この、「最低限の機能しか持ってない」、という点が重要なのだ。
最低限の機能しか持っていないおかげで、実に構造がシンプルになる。特に、脳を小さくできる点が重要だ。脳というのは、結構重い(多分)。そして、脳が重くなると、それを動かすために、強力な筋肉が必要になる。そうすると、体が重くなり、空を飛べなくなるし、消費エネルギーも多くなる。哺乳類の多くは空を飛べない、鳥類の多くは食事を欠かすことは致命傷である、しかし、昆虫類は、食事なんか無くても数日間、空を飛び続けることができるのである(多分)。
そして、最低限ではあるが、機能を持っていないわけではない、という点も重要だ。ゾウリムシなんかは、殺されそうになったら殺されるしかないだろう。しかし、蠅、蜂、蝶あたりなんかは、緩慢な生物に襲われたとしても、十分逃げ出せるだけの能力はあるし、俊敏な生物に襲われたとしても、まあ、たまには逃げることだってできるだろう。


これは、つまり、80:20の法則だ。(超適当)「まあ、20%ぐらいは捕まっても仕方無いか…」ぐらいの機能にすることで、負荷を8割減しているのである。


そして、もういっこ。「適材適所」という概念だ。昆虫というのは、世界中に生息しているが、しかし、世界中に同じ昆虫が暮らしているわけではなくて、山には山の、砂漠には砂漠の、森には森の昆虫が住んでいるのである。
だからなんだ、という話であるが、人間のことを考えてみることにする。人間は、確かに、同じ種族でありながら、知能を駆使して、氷の国から、砂漠から、熱帯、山々で、生活している。が、しかし、果たして、その生活を維持するのに必要なエネルギーというのはどれほどのものだろうか。山で暮らすには、山を削る必要がある。氷の国で暮らすには大量の燃料がいる。
だが、しかし、昆虫は、最低限のエネルギーで、ありとあらゆるところで生活しているのである。砂漠には砂漠に、山には山に適した種族が暮らすことで、それを実現しているのだ。
確かに、砂漠の昆虫を山に連れていけば、ろくに生きていけないかもしれない。だが、しかし、そんな機能必要だろうか。都会人が南極で暮らすための機能なんか必要なのだろうか。そんなものは大体の場合において必要無い。


この、昆虫全体にあふれる「大体の状況でどうにかなればいいかな…」っていうのが、なんか、UNIXツールっぽいのである。滅多に使わない機能はバッサバッサと削除。かわりにシンプルさと効率の良さが、そこにあるのだ。


そして、これは十分にメリットでもある。なんらかの事情で地球環境が一変してしまったとする。人間が絶滅することは十分考えられるが、昆虫が絶滅することは、よほどのことが無い限りありえないだろう。なんらかの種類の昆虫が生き残るに違いない。
「あらゆる環境で耐えられるようにしない」ことによって、逆に、ほとんどの環境で生き残る機能を持っているのである。


だから、えーとなんだ。別にだからどうしたって話なんだが。
UNIXツールはシンプルで使いやすい」とか言った人は、すなわち、「人間よりも昆虫のほうが良い」というのを認めたことになるのである!!(超適当)
僕も、今、アレさんを飼ったつもりになっているが、きっとアレさんに利用されてるだけに違いない!!アレさん >>>>>>>>>>>> 俺!!