何故面白アーキテクチャは時代が進むとともに減っていくのか

あとでもうちょっとちゃんと文章にしたいがメモっておくと、
http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20140609/p1
「今のコンピュータは逐次実行のために作られてるから新しいアーキテクチャ出てきてもいい」とかいう考え方ってあまり好きではない。


仕様を作る部分が人間的な問題を含んでしまって論理的に完全な解決ができない以上、コンピュータの進歩は、仕様をつくる部分以外、つまり、仕様と実装の間の距離を縮める方向に進歩するはずだと思う。
x86/ARMとかの普及したCPUの進化は、SIMD/特殊命令もそれなりにあるけど、一番大きい強化部分は、高級言語で記述されたプログラムが、そのまま速くなるように進歩していて、その方向は、「仕様と実装の間の距離を縮める」というのとそれなりに同じ方向を向いてる感じがするよな。


それに比べると、クレージーアーキテクチャ、例えば、VLIW/グラフ実行/SIMD/DMA/ソフトウェアキャッシュコヒーレンシとかって、ハードウェアの実装が露出していて、それが、仕様記述であるプログラムにまで影響を与えてしまってるから、退化してる感じがある。


だから、コンピュータの動作原理が進歩したことによって、面白アーキテクチャが滅んだという見方をしてもいいと思う。

いやもうちょっと書いておくと

まあ別に僕は変態アーキテクチャでメモリやらパイプラインやらつめつめする仕事はいくらやってもいいと思ってるのだけど…


でも実際の高速化の作業って、パイプラインつめつめだけしてるわけではなくて、真面目に高速化するなら、アルゴリズムちゃんと理解してもとの処理の開発者と話合わせられるくらいに論文読む必要があって、そうすると、CPUアーキテクチャとか関係なくね?という気分が…別に論文とか読みたくないのだけど…

そしてアルゴリズム考慮するところまで手を出してしまうと、結局最後はあの仕様はどうだとかの話になるので、ふつうのSEの仕事とあんまり変わらないという感じになるのだった。

だから、

「今のコンピュータは逐次実行のために作られてるから新しいアーキテクチャ出てきてもいい」とかいう考え方ってあまり好きではない。

とか書いてしまうのは、「高速化の問題がコンピュータアーキテクチャの問題になるぐらい世の中シンプルだったらよかったのに」という俺の考えが脳からあふれ出してる感じがある。